【ヨガ小話】ヨガって山登りみたいだ。

Radhe Radhe

こんにちは、hisaeです^^

最近、

いろんなヨガの先生や

ヨガを勉強しているひとたちを見て。

ヨガって

山登りみたいだなとおもった。

ヨガには『幸せ』っていうゴールがあって。

みんなが

『ヨガ』っていう山の

山頂にある『幸せ』を目指して歩いて行くんだけど

登山道が違う、みたいな。

富士山で言うなら

静岡県側から登るのか山梨県側から登るのか。

同じ静岡県側からでも富士宮ルートなの?御殿場ルートなの?それとも須走ルートなの?

みたいな。

(富士山登ったことないけど。笑)

いろんなヨガの種類があるし、

哲学、心理学、解剖学、瞑想、アーサナ…

どれを深めていくかでも全然変わる。

どの道を選ぶのかで

頂上までの登り方も変わってくるし、

その途中で使う道具も全然違ってくるのだ。

それぞれが

自分の「これだ!」って信じれる

歴代のグル(師匠)たちがつくってくれた道を登っていく。

頂上を目指す途中で

晴れてたと思ったら急に雨が降ってきたり、

吹雪になったり、雪崩が起きたり。

崖みたいなところや、道なき道を歩かされたりする。

サルやイノシシ、クマに出会うことだってある。

時々、道に迷って遭難する。

怪我だってするかもしれない。

でもそのなかで

道に迷った時には

道を示してくれるひとや助けに来てくれるひとが必ずいる。

途中で

一緒に山頂を目指す仲間に出会ったり、

苦しかった道の先でめちゃくちゃいい景色が見れたりする。

歩くのが苦しかった道も、

いい経験になったと思えたり、

「あのときはあんなことがあったね」と笑い話になる日がくる。

まさに山登り。。

そのなかでも

ちょっとおもしろいのが

ひとりひとりスタート地点が違うというところ。

ヨガには

生まれ変わりの考え方があって、

「今世は前世の続きから始まる」と言われている。

つまり、

前世までに

ヨガ的な修行がどこまで進んでいるかによって

今回、どこの地点からスタートするのかも変わってくるのだ。

5合目の登山口からスタートするひと、

途中の山小屋からスタートするひと、

もう山頂がみえてるひと、

まだ登山口まで辿り着くまでの公共交通機関のなかにいるひとだっている。

今回で山頂まで辿り着ける人もいるだろうし、

山頂にたどり着くのは次回以降になるひともいる。

『ヨガ』って山がほんとにあったら

もしかしたら

めちゃくちゃ高くて険しい山なのかもしれない。

でもきっと

登ってる時のわくわくとかすごそうだし、

そこで見えるものすべてが

そこで出会うものすべてが

きっと最高なんだろうなと思う。。

『ヨガ』って山を登るのか、

そもそも違う山に登るのか。

景色がいい道を歩くのか、

険しい山道を歩くのか、

歩きやすい道を選ぶのか、

いちばん距離が短い道を歩くのか。

みんなで歩くのか、

1人で歩くのか。

疲れた時に

誰かに助けてもらうのか、

少し休憩してからまた山頂を目指すのか、

ケーブルカーに乗っちゃうのか、

はたまた下山するのか。

いろんな選択肢がある。

別にどの道を選んでもいいとおもう。

自分が求めているのにぴったりな道、

自分のいまの体力で登れる道、

いまの自分が信じられる道を選べばいい。

どの道でも

ちゃんと山頂には着く。

残念ながら、

頂上にたどり着くのが

いつになるかはわからないんだけど。。

そして

改めて思うのは、

いま自分が歩いてる道には

道をつくってくれて道を照らしてくれている先生たち

先を歩いてくれている先輩たち

一緒に歩いてくれる仲間たちが

たくさんいることがとてもありがたい。

ひとりじゃないことが

とっても心強い。

いま私のところに来ている生徒さんたちが

これからどの道を選んで

どんな方法で登っていくかは

そのひと次第だとは思うんだけど

もし

私と同じ道に少しでも興味を持ってくれるのなら

同じ道を選んでくれるのなら

それはとてもうれしい。

そして

もし

一緒に進んでいけるのなら

一生懸命、一緒に歩きたい。

山登りって最初の30分くらい超つらすぎて、
いつも心折れそうになるよね_(:3」∠)_

それでは

みなさまの1日が、今日も素敵な1日になりますように。

Radhe Radhe.

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