【ヨガ小話】自分だけじゃなく、『みんなが幸せ』がいい
Radhe Radhe
こんにちは、hisaeです^^
なんだかんだばたばたと毎日を過ごすうちに
気付いたら7月になっていました。笑
2024年も残すところあと半分^^;
今年もあっという間に1年が終わっていきそうです。笑
さて。。
ここ1ヶ月くらい
なんだかずっともやもやしていて
でも
なんでもやもやしているのかわからなかったこと。
やっと言語化できて
「なるほど」ってなって
ちょっとすっきりしたので
ここに書き残しておこうと思います。。
残念ながら
まだまだ私も勉強中なので上手くそれを伝えれるかわからないけれど…
捉え方は人それぞれだし
私の考えがすべてじゃないし
不快に思う方もいらっしゃるかもしれませんので
もし「嫌だな」「偉そうになんだこいつ」と感じる場合は
そっとページを閉じてください。
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実は
昨年からちょっとずつ
バクティヨガを学ばせていただいています。
そのなかで
先生からヨガ哲学の話を聞かせてもらったり、
サットサンガで一緒に学ぶ仲間のお話を聞かせてもらう中で
改めて思ったことがあります。
自分だけが『幸せ』でも意味がなくて、
みんなが『幸せ』じゃなきゃいけない。
じゃぁ
みんなを『幸せ』にするためには?
どんなに誰かを『幸せ』にしたいと思っていても、
自分のなかに余裕がないと
周りのひとを大切にすることはできないし、
誰かの話を聞くことだって、誰かに優しくすることだってできない。
そんな状況じゃ、誰のことも『幸せ』にできない。
だから
周りのひとを大切にできるように
まずは自分のなかに余裕をつくる必要がある。
自分を愛してあげるとか
自分を大切にするとか
自分を満たしてあげるとか
まずは自分を『幸せ』にしてあげる必要がある。
それは本当によくわかる。とっても大切なことだと思う。。
その方法として
・やりたいことをやる
・やりたくないことをやらない
・自分の思っていることをちゃんと伝える
・自分を大切にしてくれない、自分を傷付けてくるひとやものから離れる
みたいなことをよく聞くのだけれど。
実際に
いままで私自身もそうやって
自分を満たしたり大切にしてきたわけだけども。。
もし
自分を『幸せ』にするための行為が
誰かに迷惑をかけていたり
どこかで誰かを傷付けていたり
誰かに嫌な思いをさせていたとしたなら
それで得た『幸せ』って本当の『幸せ』なんだろうか?
誰かを傷付けて得た『幸せ』で
誰かのことを本当に『幸せ』にできるんだろうか?
たとえそれが
無意識であったり悪気がなかったとしても、
「私の知らないところで
あなたが勝手に傷付いてるだけだから」
それで片付けていいんだろうか?
そもそも
自分にとって都合が良くないというだけで
ひとやものを簡単に切り離してしまっていいんだろうか?
そんな疑問が生まれてきました。。
そもそも
人間が『幸せ』を感じる瞬間って
『誰かの役に立てたとき』なんだって。
私たちは
自分で自分のことを満たすことはできないようにできていて、
誰かのために働いたり、誰かの役に立ったときに
満たされるようにできている。
例えば
行きたいところに行く、食べたいものを食べる
やりたいことをやる、言いたいことを言う…
自分だけのために自分を満たす行為は
かさぶたみたいなもので
またすぐに剥がれていく。
その一瞬は満たされるかもしれないけど
すぐにまた満たされない状態がやってくる。
「家族のために一生懸命働けるように、
まずは自分の健康が大事。
明日も元気に働けるように
ちゃんと食べてちゃんと寝よう。」
誰かのために自分を満たすというのが
本当に自分を満たすことになっていく。
自分が『幸せ』になるためのその行為の先に
誰かがいないのであれば
それは
本当に『幸せ』とは言えないんだと思う。
みんなを『幸せ』にするために
自分を『幸せ』にするはずなのに、
よく言われてるような満たし方だと
逆に誰かを不幸せにしてることがあったり、
自分の『幸せ』の先に
誰かの存在、誰かの『幸せ』が見えなかった。
だからきっと
なんとなく違和感を感じちゃったんだな。。
やりたいことをやってもいい。
やりたくないならやらなくてもいい。
言いたいことを言ってもいい。
自分を大切にしてくれない、自分を傷付けてくるひとやものから離れてもいい。
実際
『自分のため』を突き詰めるという在り方のヨガもあるし、
自分だけの『幸せ』を選んでもいいと思う。
だけど
人間はひとりでは生きていけないようにできている。
いままで関わってきたすべてのひとやもののおかげで
いまの私がいまここで生きていられる。
誰かひとりでも欠けてたら
なにかひとつでも欠けていたら
いまの私はいまここで生きていられなかった。
それが
どんなもの、どんなことであっても。
すべてのひと、すべてのものに感謝。
だから
自分も含め、『みんなが幸せ』を目指したい。
もし
自分を満たすためのその行為が
結果的に
周りのひとを傷付けるようなものだったり
いま与えられている役目を放棄するものだったり
与えられているものを大切にしないようなことであるのなら
あんまりおすすめはできない。
たとえ
うまくいかないことであっても
自分に苦しみを与えてくるものであっても
自分にとって都合の悪いものであっても
そこからなにか気付きや学びを得るため、成長するために与えられているもの。
いま与えられているものは全部
必要だから与えられている。
与えられているって
とってもありがたいこと。
与えられたものを粗末に扱うと
だんだん与えてもらえなくなって
孤独になっていくよ。
なんて
長々と偉そうに書いたけど
まだまだ私も練習中です。
いままで
それでたくさんのひとを傷付けてきたし
いまでも
間違えてばっかりで
誰かを傷付けることばっかりです。
そんなの綺麗事だって
言われるかもしれないけど。
でも
目指すだけで必要なものは揃っていくから
たくさん転びながら
『みんなが幸せ』を目指していきます。
それでは
みなさまの1日が、今日も素敵な1日になりますように。
Radhe Radhe.